横浜国際大学に抗議のメールを送った
横浜国際大学の板垣克彦教授のツイートがあまりにもひどく、このまま許してはいけないと思ったので、大学院の所属の部署に抗議のメールを送った。メールの内容は下記の通り。怒りの感情が昂っていたので文章をろくに推敲していなくてひどい文章で恥ずかしいけれども、内容を公開する。
板垣勝彦教授の同性愛矮小化発言について
こんにちは。
貴大学院に所属する板垣勝彦教授のTwitter上での発言は、
大学の教育理念等に準じたものでしょうか。
https://twitter.com/itagaki_katsu/status/1621716737027887105
「煽るつもりはないが、同性婚を認めるのと、ペットと同居する暮らしに法律上の優遇措置を与えるのと、はては初音ミクちゃんとの暮らしに法律上の優遇措置を与えるのと、突き詰めていくと何が異なるのかっていうこと。ディベートの素材として優れているかもしれません。」
この文章は、大学の教材として、
同性婚と、ペットとの居住、2次元キャラクターとの居住を
同列においてその差異を比較しようというものであり、
同性愛者当事者に対する極めて強い侮蔑です。
このような授業をしたときに、仮に学生に当事者が
いた場合、明確なハラスメントに相当しますし、
こういうことを公言することで、同性愛者の権利を軽んじることが
社会的に肯定されることであるかのように理解されることに強い危惧を
抱きます。
ここで質問ですが、貴大学院ではこのような、
社会的なマイノリティの人権を、そうではないものと同列に扱うような
このような指導を大学院の方針として掲げているのでしょうか。
また、同性愛者のような、社会的な承認をなかなかされない困難を抱いている
マイノリティの承認感情をことさらに傷つけるような
指導が、大学院にふさわしいものと考えているのでしょうか。
私は性的マイノリティ当事者として、このような人間が
大学院という知的な場において教育・指導に携わっていることに
強い危険性を感じます。横浜国立大学大学院では
性的マイノリティへの差別を教育しているのではないかと
疑念を抱いています。
この件、どういう状況であるのか、きちんと声明を出していただけないでしょうか。
少なくない当事者にとって、これは重大な問題だと考えています。
よろしくお願いします。
セクシャルマイノリティのカップルが家を買うのは無謀だろうか。
自由に暮らせる家が欲しいと思った
二人で暮らせる家が欲しいね、という話で盛り上がった。保護猫の譲渡会と猫カフェに寄った日の夜のことだ。猫とパートナーの家に帰る毎日、素敵じゃないか。
自分の部屋で猫を飼うことも考えてみた。飼えなくはないけれど、賃貸の規約がいろいろと気にかかる。変に改造もできないし、匂いがついたら実費弁済せよ、などきびしい文言が契約書には書いてあった。いままで、あまり深く考えずに賃貸契約をしていたんだなあ。
恋人が、ネットの住宅検索サイトで探して教えてくれた。それなりに買えそうな家がある。自分はずっと賃貸派だったので、家を買うなんて発想がなかった。調べてみると、家賃を払う感覚で、確かに家が買える。買ってしまえば、その家は自由にできる。キャットウォークを作ってもいいし、書斎を作ってもいい。私たちが私たちの需要に応じて、好きにして良い家。
ただ、ハードルがある。通勤にあまり不自由しない範囲で、自分たちが希望する規模の家を建てようとすると、一人でローンを組んで買うのでは予算が足りない。二人の収入を合算してローンを組む必要がある。セクシャルマイノリティ界隈では、結婚をしていないカップルが2人でローンを組むのは極めて難しい、という話がされていたのは知っていた。いちおう、みずほ銀行が渋谷区の同性パートナー制度の対象者をローンの審査で受け入れているというのはちょっと知っていたけれど、札幌のパートナー宣誓制度はそれの対象外。
そんなわけで、私たちが私たちらしくローンを組めないか、というのが、今の私たちの大きな興味の範囲である。
結婚という選択肢について
私たちカップルは、FtXとMtF。戸籍上は今の所異性なので、やろうと思えば結婚ができる。でも、結婚という選択肢はとりたくないと考えている。理由は幾つかある。
一つは、結婚の届にある「夫になる者」「妻になる者」という表記への抵抗感。これを今の性にこだわらない方に記載できるのならばいいのだけれど、おそらく戸籍性に基づいて夫と妻が振り分けられる。それは嫌だと思う。
もう一つは、お互い、積極的に相手の姓になりたいというタイプではないということがあった。何より面倒くさい。絶対に姓を変えたくないとまでは思わないけれど……。
次に、いずれ私が性別再判定手術を受けた際に、結果として離婚が必要になってしまうので、とても無駄感+不条理への怒りを覚えるということ。二人とも戸籍上女性で婚姻関係を維持できるなんて状況は、夫婦別姓以上に今のところまだハードルが高いと思う。
でも調べてみると、結婚というのは低コストで多様な権利をパッケージした便利な制度なのである。ただ届けを出すだけならば、かかる費用は戸籍謄本(または抄本)を発行する手数料くらいじゃなかろうか。
そして、いざ結婚してしまえば、その二人は他のどの親族よりも最優先の関係になる。
まだ、家を買うには道のりは遠い
ひと段落ついてからブログの記事にしようかと思ったけれど、それを待っているとどんどんやっていったことを忘れてしまいそうなので、まだ大した成果も出ていないけれど、とりあえずスタートの気持ちをブログに公開することにした。
はやく猫と恋人とまったり暮らしたい。そういう日が来るよう、頑張っていきたい。
ムーンライトの感想
言葉にするのが難しい
やるせない気持ち、どこにぶつけていいかわからない感情が、心の中に沈殿するような映画だと思った。 冒頭、シャロンはクラスメイトたちからの攻撃を逃れて、廃屋に逃げ込む。逃げ込んだはいいけど、結局そこに立てこもって、待つ以外のことができない。このシーンが、映画全体と相同の形を成しているのだと思う。 抑圧と暴力から逃れようと、外部との遮断をしても、そこには孤独しかなくて、救いの道筋が見失われてしまう。 冒頭のフアンの助けも、終わりのケヴィンとの繋がりも、どちらも一時的な助けにすぎないのかもしれない。けれど、私たちは誰もが皆、一時的な救いや一次的な幸せを心と体の支えにして生きているのだ。その時すがるものがあるということが、どれだけ価値があることか。永遠の愛なんて大それたものは、現実にはない。でも、ほんの少しの支えと、そのつながりを幸せに感じる心は、きっと誰にも手の届き得るものなのだと思う。そして、そのほんのささやかな物でさえ、なかなか手の届かないところに追いやられる人が、世の中にはたくさんいるのだと思う。
母親
母親を上手にできない人物は、いろんな映画に出てくる。で、この作品の母親がまた強烈で、主人公の人格形成をゆがめた張本人の一人だと思うのだけど、たびたびこの母親がシャロンに対して「一番大事」「愛している」というのは、本心なんだろう、という風にも感じられて、そこがまた辛い。愛情があるということが、必ずしも相手の幸せにつながっていない、というか、愛情と執着は紙一重だというか。 全く褒められた母親ではないし、驚くほど怖い。それでもどこか、この方を憎めない感じがするのは、自分の中にも、この人と同じような壊れた要素があるように思うから。
1人のシャロン
3人のシャロンは年齢が違って、だから姿も違う。なのに見ているうちに、自然と同一人物に見えてくるのがすごいなと思った。とくに、iii Black。体を鍛え、貧弱で弱かった過去の自分とは決別し、ヤクの売人という汚い仕事とはいえ、成り上がり、部下を翻弄するほどの力を持って、見間違えるほどの変貌を遂げたように最初は思う。だけど、会話などを通して、どんどん少年時代の面影が姿を見せる。ああ、この人は本当にシャロンなんだ、と感じさせる。無口で気弱で、内面に孤独を抱える一人の少年の記憶が、全身から溢れてくる。立派な体格と堂々とした態度の裏側のものを感じさせてくれる。
わからないものをわからないと思いつつ、胃の中に入れる
スッキリできる映画じゃない。もやもやする映画だと思う。もやもやせざるを得ない映画だと思う。だってあれは、現在進行形で解決されていない問題を、そのまま切り出したようなところのある映画だから。あんな風に苦しんでいる人はきっとたくさんいるんだと思う。そういう現実の背景を見たときに、安易な解決を映画に与えることなんて、できない。ただひたすら下唇を噛みながら見た。わからないところ、たくさんあって、そういうわからないものをわからないまま、心の中に置いておくような映画なんだろう、きっと。
まだハルトのことを引きずっている
YouTubeのハルトを、iPadで再生させて、延々と見ていた。素敵だ。可愛い。クリクリした好奇心旺盛な瞳が可愛い。ぷっくりしたおなかに、おへそがぽこっと出ている所とか、もうもだえるほど可愛い。おちんちんがぷらぷらしてて、なんか妙に可愛い。ロープに手を伸ばすのだけど、目測感覚がまだ育ってないのか手が届かない。可愛い。時系列に動画を追っていくと、たった8ヶ月の間にも、少しずつ成長して行って、どんどんアクティブになっていくのが良くわかる。
これから、いろんな事がどんどん出来るようになって、体もどんどん大きくたくましくなって、「昔あんなによちよちしてたんだよ、ずいぶん成長したね」って、言えるはずだったのに、ハルトの成長は8カ月で止まってしまった。もうハルトは記録と記憶の中にしかいない。
動物園で見るのが好きな動物と言うと、以前は「アザラシ」が不動のトップだったのだけど、ハルトにあってから、オランウータンの可愛さにすごく惹かれる。レンボーの美しさにも気づいた。もっとマメに動物園に遊びにいけば良かったな。年間パスポートもあるのに。家から歩いてだっていけたのに。
今週末行こうかな、と思いながら、スケジュールを考えて来週でいいかと思い、来週になると、まだいけそうもないなと思い、なんとなく急ぎではないものだから、どんどん先延ばしにしていた。もう先がないなんて、その頃知らなかった。
あんまり引きずっても良くないから、どこかで割り切らないといけない。ただ、しばらくは携帯電話の待ち受けは、ハルトの写真にしようかなと思う。
それでも、こうやって書くことができるから、まだ自分は元気なんだと思う。しんどいことはなかなか言葉にならない。
円山動物園の、オランウータンのあかちゃん「ハルト」が亡くなって、悲しい。
こんどまた会いにいこう、見に行きたいな、そう思っていたのに。
いつでも会いにいけると思って、油断していました。まさか、もう会えなくなるなんて思っても見なかった。さみしいので、YouTubeを検索しまくって、リンク集を作った。
おおむね時系列に並んでいると思います。
動画で見ると、元気で、わんぱくで、今はもういないってとても信じられない。歩くのもぶら下がるのも、少しずつ上手になって、本当にこれからわんぱく盛りになるだろうって思っていたのにね。
ハルトくんの元気だった頃の姿を、今見られるのは、動画を撮影して公開して下さった方々のお陰です。ありがとうございます。